■福岡の幕開けと成長は、黒田官兵衛とその息子福岡藩初代藩主黒田長政によりその礎が築かれました。
○関ヶ原の戦いが終わって、黒田は福岡へ
1600年の関ヶ原の戦いがあっけなく幕切れし、功労者の長政は家康より褒美として筑前の約52万石を与えられました。
1601年から父親である官兵衛とともに福岡城の建設を開始します。
福岡城の建設予定地は福崎と呼ばれていたそうです。官兵衛は黒田家に縁のある備前の福岡村から、この土地を福岡と名付けました。
これをスタートに黒田家の福岡統治が始まるのです。
当然、福岡城の建設に当時の技術が活かされています。
○福岡と博多
官兵衛と福岡のつながりは、1587年にまで遡るようです。戦乱により衰退する博多の復興プランの立案を秀吉は官兵衛にまかせたのです。
この復興プランこそが、「太閤町割」のことです。
商人の町・博多は、数々の豪商の台頭とともに活性化し、衰退から復活しました。那珂川より西に位置する福岡には、官兵衛が福岡城を建設しました。
この流れで、商人の町・博多と武士の町福岡とう対照的な2つの町でひとつの都市圏を構成するようになったのです。